雨上がりの庭に宿る記憶、「生家」
作者が幼い頃から慣れ親しんだ実家の庭を描いたこのパステル画は、
観る者の心に静かな感動を呼び起こす。
作者に、この作品に込めた思いや制作の背景について話を伺った。
「生家」と名付けられたこの作品は、作者にとって特別な意味を持つ。
制作のきっかけとなったのは、一枚の写真だったという。
「作品展が終わった後、ふと実家の庭の写真を撮ろうと思ったんです。
父が88歳になり、長年丹精込めて手入れをしてきた庭でしたから。
ちょうどその頃、私自身も気持ちが少し落ち込んでいた時期で、
この美しい庭の姿を写真に残すことで、父を、
そして自分自身を励ましたいという気持ちもありました。」
撮影したのは5月の雨上がりのこと。
水滴がきらめき、草木が一層鮮やかに見える、そんな美しい瞬間だったという。
その時の感動を絵筆に託そうと、制作が始まった。
「やはり、小さい頃からずっと見てきたもの、
実物を長く見てきたものを選びたいと思いました。
見慣れた風景だからこそ、描けるものがあると感じています。」
画材にはパステルを選んだ。
その柔らかな色彩と独特の質感が、雨上がりの庭のしっとりとした空気感や、
作者の心象風景と重なったのかもしれない。
しかし、その扱いは決して容易ではなかったという。
「パステルは、色の重なりやぼかしが魅力ですが、
全体のバランスを取りながら遠近感を出すのが非常に難しかったです。
特に庭の奥行きや、植物の重なりを表現するのに苦労しましたね。」
試行錯誤を繰り返す中で、作者はパステルの扱いの難しさを再認識すると同時に、
新たな発見もあったと語る。
「確かにパステルは難しい。
でも、だからこそ描き出せる、
写真とは全く違う魅力があることにも気づかされました。
光の表現や、心に残った印象を色に託すことができるのは、
絵画ならではだと感じています。」
この作品を通して、観る人に何か特定のメッセージを伝えたいということは
「特にない」と作者は静かに語る。
特別なモチーフや象徴的な要素を画面に込めたわけでもない。
しかし、そこには確かに、作者が長年育んできた家族への愛情や、
実家という場所への深い思慕の念が、パステルの優しい色調を通して静かに、
そして豊かに表現されている。
それは、声高に何かを主張するのではなく、
観る人それぞれが、自らの記憶や経験と重ね合わせながら、
作品と対話し、何かを感じ取ってほしいという作者の願いの表れなのかもしれない。
今回の制作を通して、作者はパステル画の奥深さに改めて触れ、
その表現の可能性を再発見したという。
「これからは、自分の心惹かれる場所へ足を運び、
そこで出会った美しい風景や感動を、
一枚一枚、丁寧に描いていきたいと思っています。」
そう語る作者の眼差しは、既に次なる創作へと向けられている。
「生家」というパーソナルな記憶から生まれたこの作品は、
多くの人々の共感を呼び、作者自身の新たな創作の旅路への確かな一歩となったに違いない。
雨上がりの庭に注がれた温かい光のように、
この作品は私たちの心に優しい余韻を残してくれる。
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